ベトナムの世界遺産「ホイアン」を巡る旅 2015年8月
古都ホイアン
文化遺産・1999年登録
ベトナム中部の街 9世紀頃チャンパ王国時代には中継貿易都市として栄えていた
15~19世紀にはアジアとヨーロッパの交易の中心地としても繁栄し、日本人町も作られていた
最盛期には1000人を超える日本人が住んでいたと言われているが、
鎖国政策で日本人が撤退したあとは、華僑が移り住んだため、
建物や街並みは中国の色合いが強くなっている
15~19世紀にはアジアとヨーロッパの交易の中心地としても繁栄し、日本人町も作られていた
最盛期には1000人を超える日本人が住んでいたと言われているが、
鎖国政策で日本人が撤退したあとは、華僑が移り住んだため、
建物や街並みは中国の色合いが強くなっている
来園橋(日本橋)
1593年に日本人によって造られたといわれる屋根付きの橋
小さいながらも街のシンボルで、旧市街観光のスタート地点にもなっている
橋の中には小さな寺も設けられている
両側にはそれぞれ猿と犬の像が守り神となっているどちらもユニークな表情
貿易商人の2階建て木造住宅
ベトナム・中国・日本の建築様式が入り交じっている
洪水の際は荷物を簡単に2階に上げられるような工夫がされている
内部はお土産物屋として機能している
場所は日本橋のすぐ近く
旧市街と逆方向なのでひっそりしています廣肇会館
1786年広州と肇慶出身者達によって建てられた集会所
関羽が祀られていますサーフィン博物館
マリンスポーツのサーフィンではなく、
紀元前から2世紀初頭の金属を使用し始めたサーフィン文化の博物館ベトナム中部で出土した土器や生活用具が展示されています
福建会館
福建省出身者の集会所
航海の守り神・天后聖母が祀られています
敷地は奥に長く、会館の前にはピンク色の立派な門が
天井には長い線香が吊され中国の寺院の雰囲気
天后聖母の手前の小さな像は、
ベトナム医療の礎を築いたレ・フー・チャック
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