2014/06/22

日本の世界遺産「富岡製糸場」を巡る旅 2014年6月

富岡製糸場と絹産業遺産群 産業遺産・2014年登録

2014年6月21日 日本で18番目の世界遺産として登録されました
日本の世界遺産の中で近代遺産は初めての登録となります

今回登録されたのは群馬県内の以下の4ヶ所
 富岡製糸場(富岡市)
 田島弥平旧宅(伊勢崎市)
 高山社跡(藤岡市)
 荒船風穴(下仁田町)

すべての遺産が違う自治体にあり、尚且つ離れているため、
4ヶ所を一日で見て回るのは困難です
富岡製糸場を除いては公共交通機関も十分ではないため、
車での移動が便利です

登録直後の2日間にわたって4ヶ所の世界遺産を巡りました




富岡製糸場 群馬県富岡市富岡1-1



明治5年(1872年)明治政府が国策として建築した官営製糸工場
その後民営となり、三井製糸、原合名会社、片倉工業と115年にわたり操業を続け、昭和62年(1987年)まで日本の絹製糸産業を支えてきました




フランス人が設計した富岡製糸場は「木骨煉瓦造」(もっこつれんがぞう)
木組みで建物を建築した後、壁面に煉瓦を並べる建築方法で、
地震の多い日本に最適な方法で、煉瓦造りよりも強度が高くなっています



  
正面入口の正面にあるのが「東繭倉庫」

長さ104.4mの建物で当時は2階で乾燥させた繭を保管していました現在は1階の一部が展示場・売店として使われています
(場内で唯一空調の効いた場所です)





東繭倉庫の隣に直角に繋がっている「繰糸場」
倉庫より長い長さ140.4mの建物は、
現在昭和40年代以降に設置された自動繰糸機が置かれていますが、
創業当時はフランス式の繰糸器300釜が設置された
世界最大の製糸工場でした

建物内部に入れるのはこの2つの建物のみ
その他の建物は外観のみ見学可能です




指導者として雇われていたフランス人ポール・ブリュナ家族が暮らしていた「ブリュナ館」

後に工女に読み書きや裁縫などを教える夜学校として使われていたため、

当時の面影が分からないほど改装されていますが、

今でもワインセラーとして使っていた煉瓦造りの地下室があります




繰糸場の奥側に繋がる「西繭倉庫」

東繭倉庫とほぼ同じサイズですが、

1階を石炭置き場として使っていたため多少デザインが違います

2階は乾燥した繭の保管庫です





敷地中央にそびえる煙突

当時は少し低い煙突が隣に立っていました

蒸気機関を動かすための釜がありました





東繭倉庫裏の「乾燥場」
2014年2月の大雪で倒壊してしまいました
繭の中の蚕を熱で死滅させ、カビが生えないよう乾燥させる施設でした
世界遺産のため、新しい資材を使っての修復ができないため、
今後の修復計画はまだ未定です





田島弥平旧宅 群馬県伊勢崎市境島村甲2243




幕末から明治にかけて蚕種(蚕の卵)を生産する養蚕技法「清涼育」を完成させ、
近代養蚕飼育法を確立させた田島弥平の旧宅です
空気の循環をよくするため2階建ての屋根の上に櫓を設けた建物は、
明治後期に高山社が指導した折衷育法が普及するまで、
蚕にカビが生えないように常に新鮮な空気を送り込む「清涼育」に
適した建物として全国の養蚕農家の規範となりました

文久3年(1863年)に建てられた現存する母屋とともに、
桑場や蚕種保管場所の遺構が残るここは、
近代養蚕業の礎を知ることができる重要な史跡です
この建物は個人住宅で現在も住居として使用されているため、
内部を見学することができません
詳細な資料は近くの田島弥平旧宅案内所に展示されています


田島弥平旧宅から徒歩で3分ほど歩いた「田島弥平旧宅案内所」
模型やパネルが展示されており、また説明員も常駐されています
先ずここに立ち寄り、資料や情報を入手した後に見学してください
駐車場は旧宅にはありません
この案内所または近くの島村蚕のふるさと公園を利用してください





高山社跡 群馬県藤岡市高山237




高山長五郎が養蚕法の改良を行った高山社発祥の地「高山社跡」旧家の屋敷を壊して新たに蚕室を建てて研究を行いました
それまで主流であった「清涼育」では当たり外れの多かった養蚕を、
「清温育」によって収繭量の安定と品質の向上を格段に進歩させました
「清温育」はこれまでの通気一辺倒の養蚕方法とは異なり、
温度・湿度・通気を調整することにより飼育管理を徹底する指導法です


1階には囲炉裏が設けられ、寒いときは火力を用いて温度を上げます
暖かさが足りないときは2階で火鉢を用いて温めます
湿度が高いときも火力で空気を循環させ蚕室を乾燥させます
それ以外にも新鮮な桑の栽培方法や、
盛食期や脱皮後など状況に応じた桑の与え方、
脱皮時の管理方法など細かく規定しています
明治6年(1873年)に「高山組」を組織し養蚕飼育法の研究を開始、
明治16年(1883年)「清温育」を確立させ、よく明治17年に「高山社」と改称します
しかしその2年後高山長五郎が56歳で死去すると、
弟子の町田菊次郎が明治20年(1887年)に隣町の藤岡町に本社を移設した後には、
「高山分教場」として機能し、昭和2年(1927年)の廃校まで、
50年以上の長きにわたり「清温育」を全国に広めたのです






荒船風穴 群馬県甘楽郡下仁田町南野牧字屋敷





天然の冷風が吹き出す風穴を利用し、蚕種を冷蔵保存する「荒船風穴」
明治時代から冷蔵庫が登場する昭和の初めまで使われ、
蚕の卵のふ化時期を調整することにより、年1回しかできなかった養蚕を、
最大年6回行えるようになった近代養蚕には不可欠な設備です

下仁田町の西端標高840mの山腹に設けられた3つの風穴のには、
それぞれ蚕種を保管する建屋が設けられ、
日本最大の貯蔵能力を誇っておりました
蚕種の保管は日本国内40地域以上の他朝鮮半島にまで及んでいました

山奥にあるこの世界遺産へは土日のみシャトルバスが運行されていますが、
平日は自家用車か観光タクシーでしか行くことができません
(近くのバス停から歩くと2時間以上かかります)
周辺の道路は交通規制されているため、神津牧場を経由して荒船風穴駐車場を目指します
(カーナビは神津牧場を設定し牧場内を突っ切った先3.5kmに駐車場があります)
駐車場から風穴までは行きは下り帰りは上りの900mの急坂を歩きます
(1台のみタクシーが待機していることもあり帰りのみワンメーターで利用可能です)
他の世界遺産とは1時間30分以上離れており、
風穴の見学だけで最低半日、公共交通機関を使うと1日かかります





4ヶ所の世界遺産を結ぶ交通機関は用意されておりませんので、
自己責任で時刻を調べて移動する必要があります


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